蘇我氏と朝廷


6世紀に我が国に伝えられた仏教は、はじめ渡来人や蘇我氏などによって信仰されたが、蘇我氏が朝廷の実権を握ると朝廷の保護をうけて急速に発展し、朝廷のおかれた飛鳥を中心に最初の仏教文化がおこった。蘇我氏の発願によるといわれる四天王寺や斑鳩寺をはじめ、諸氏もきそって氏寺を建てた。
こうして寺院や仏像が、古墳に変わって豪族の権威をあらわすものとなったが、仏教は一般には、呪術の一種として信仰され、人々は祖先の冥福を祈ったり、病気の回復を願って仏像をつくることが多かった。
当時の政治の中心が飛鳥にあったことから、この時代の文化を飛鳥文化とよぶ。
古墳時代には、渡来人を中心にさまざまな面で技術の進歩がみられ、文化は大いに発展した。



飛鳥文化


飛鳥文化はそれまでの古墳文化に、あたらしく百済や高句麗などをつうじて伝えられた中国の南北朝時代の文化の影響が加わってうまれたものである。
現存する法隆寺はいったん焼失したのち、7世紀後半に再建されたものと思われるが、南北朝時代の影響を受けた飛鳥建築の特色を残している。
彫刻でも、仏師鞍作鳥の作といわれる法隆寺金堂釈迦三尊像には、北魏の仏像と共通するととのった厳しい表情がみられる。
これらの金銅像のほかに、中宮寺や広隆寺の半跏思惟像、法隆寺の百済観音像など、北魏様式とは別の系統に属する木の像もある。



仏教の学問的な研究


また絵画や工芸も、高句麗の僧曇徴によって絵の具・紙・墨の製法が伝えられるなど、大陸からのあたらしい技法の伝来によって、飛躍的に発展した。
この時代には、仏教の学問的な研究もはじまり、聖徳太子があらわしたといわれる、法華経・維摩経・勝鬘経の3つの経典の注釈書である三経義疏が伝えられている。
百済の僧観勒が暦をもたらし、年月の経過を記録することがはじまったのもこのころで、歴史書や諸記録の発達にとって大きなできごとであった。